主人公 14歳の少女・玲音(lain)
14歳は人間の人生において一番大切でその人の人生を決める大事な年です。
14歳で自分を失い、自我を持つ自分が自分自身を乗っ取ります。
serial experiments lain/シリアルエクスペリメンツレインは1998年のテレビアニメであり、同年プレステのゲームにもなってます。
この作品は、リアルワールド(現実世界)とワイヤード(有線で繋がれた世界)の境界が徐々になくなっていくストーリーであり、
人間にとって真実とはなにか?と深く哲学的な内容を含むサイコホラー作品です。
肉体・人間の身体は脳によってコントロールされた物理的な現象であり、人間は思いや記憶に捉われてループ(輪廻)していて、
肉体はただ自分自身の存在を確認するだけの空虚な入れ物に過ぎない不要なものと作中で語られています。
量子力学でも同じように、観測したときに初めて物体は見えて存在できる。眼で見てないときには何も存在してない不確実性に溢れた世界に私たちは生きています。
目というものは、右目と左目で役割が全く違います。
この目の領域はタブーなので言及することを控えますが、
それぞれ”太陽と月”を表します。
この地球は思ってるよりも、創られたときから機械的なテクノロジーであるということです。
これからメタバースの時代だと言われていますが、もしこの世界が現実ではなく夢であるなら既にメタバースという名の地球に私たちは生まれて、生きてることになります。
今後、メタバースに入って生きるということは、夢の中の夢に入り、夢の階層が深くなります。
最悪の場合、現実がどこにあるか全く分からなくなり、夢から出れなくなることを意味します。
まさに、インセプションですね。
今まで生きてきた人生の思い出と記憶が全て嘘だった、システムでありプログラムだったなんて信じたくないですよね。
シミレーションやゲームの中に閉じ込めれていたら、私たちはマリオと変わらないことになります。
ゲームの中のキャラクターに意識があったら?もし、道ですれ違った人がNPCだったら?
AIロボットに自我・意識・感情・愛情が芽生えたら、人間との違いはあるんでしょうか?
人間だと思ってた人がロボットだったら?
人に優しくするのと同じように、機械やiPhoneに優しくすることは同じということになります。
私たちに全く知らされてないこと、教えられてないことが残念ながら山ほどあります。
この世界を神のように俯瞰して考えてみると面白いかもしれません。